自衛隊
UFO 死亡事件---1974
●UFO大学- UU -UFO University


UFOノーベル賞について

 1974.6/9 茨城県航空自衛隊百里基地所属
Nakamura T
oshio<中村登志雄:当時42歳>2等空佐操縦する
F-4EJファントム戦闘機<17-8307>とUFOが対戦し
中村空佐
死亡した 日本初め発生した事件でした。

事件初めるみに出て情報公開されたのは
米国通信社の
R.リチャード・ドレイバー記者が
死亡した中村空佐の 同機に乗船し 生還した
自衛官
久保田四朗<Kubota Shirou:当時40歳>
3等空佐の公務証言を
UFO Report 1978
3月号
に掲載され真相が 国際的に知られる
ことになったからでした。

1974.6/9 夜
クランブル発進命令が下され
2機の戦闘機(
その後 1機が 故障したため基地に帰還)が
国籍不明機を確認せよ
! との命令が 急きょ
UFOを追跡せよ! と変更になり 中村・
久保田両氏が F-4EJファントム1機で 夜

東京空域に出現したUFOを追跡しました。

中村空佐は よく晴れた東京空域の夜空で
数キロ前方に丸い形をしたUFO
(直径:約10m)を確認。
追跡を開始し接近すると まもなく UFOは 高度を
下げて旋回し 次の瞬間 ファントム機をめがけて
何度も攻撃を繰り返し ついに4回目にUFOと
衝突してしまいました。


 
 激しい衝突の衝撃が 体全体に伝わり
中村空佐の悲鳴と同時に 久保田空佐の体が
座席と一緒に フアントム機の外へ飛び出し
パラシュートが 開きましたが 体は ガタガタに
震えていました。


右の方には 中村空佐のパラシュートが
開きましたが そのパラシュートに引火して
燃え上がりました。 そして 中村空佐は
死亡されたのでした。


このUFO亡事件に対して 防衛庁・
航空自衛隊は 厳しいかん口令と隠ぺい工作
をし
一切 日本国内では 報道されませんでした。


ろうじて生還した久保田空佐は さっそく事件
真相を自衛隊幹部に対し詳細に報告しました。


しかし その後 防衛庁は この重大なUFO
死亡事件を3年間も隠したため あきれた
久保田空佐は 4年後に航空自衛隊を退職
されました。


人命よりも 真相解明よりも UFO事件の
隠ぺい工作を優先する 防衛庁の体質に対し
許せないとして米国報道機関に告発することに
なったと公務証言されました。

                    
UFOノーベル賞について

久保田空佐のように公務証言されました。

UFO宇宙船を追跡して思ったことは 非常に
高度に発達した知性と文明をもつ生物が 操縦し
ていると確信しました。

当初 ソ連機の侵入を阻止するためだとのスク
ランブルでしたが まもなく 明るく輝くUFOの実態
を確認・調査・報告する命令に変更されました。

UFOは 赤やオレンジ色に輝くデスク状の機体で
急接近等を何度も繰り返し とても危険な状態で
あったため やむなく中村空佐は 激しい降下や
旋回をおこないました。

その後 間もなくしてUFOが ジェット機に体当たり
して破壊され脱出せざるを得なくなりましたが
中村空佐のパラシュートに引火して急激な
スピードで落下し死亡されました。


亡くなられた中村空佐と 遺族のことを思うと
絶対に無駄死にさせてはならない。この事件を
闇に葬っては ならないと思い 外国の報道機関に
真実を語ることになりました。

と 公務証言されました。


UFO亡事件が 報道されると
防衛庁は 事件発生日にスクランブルをした
ことを認めましたが それ以外は
完全否定しました。
しかし         

  
( 陸軍情報部少佐/日本で最初の
UFO裁判
提起された方/四国UFO館長/UFO&ETI科学者等
)

自民党防衛族議員や防衛庁関係者

の証言・関係資料の調査・分析の結果か

ら 以上の
UFO死亡事件 久保田空佐が

公務証言
したように 確実に存在し 航空

自衛隊・防衛庁により隠ぺいされた
日本

史上に残る
重大なUFO事件

証言されました。

  Ngo大学・大学院連合から資料提供   自衛隊(幹部を含む  関係者の公務証言

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500--UFO-ETI情報公開民主国家---学者等の--NFS=Ngo未来大学院


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